孤塁を守ったひと・・・
「官僚主義は、民主集中制の否定的な面が生み出したものである。民主集中制の否定的な形式論的観念論的な面が克服されるなら官僚主義も克服される。資本主義制度は永遠の社会制度ではない。過去のすべての社会制度と同様に、つぎの社会制度へと止揚されていく。社会主義の段階から共産主義の段階へと進んでいったら、強制力の発動が必要なものは何もなくなる。そうなれば、必然的に官僚主義もなくなる。」
(『孤塁を守ったひと』p.126から引用)
「指導・被指導の微かな矛盾の積み重ねが共産党の中に『内なる敵』を育てた。」
1960年代から70年代の『赤旗』がどんどん増え、党所属の議員もどんどん増える間に、停滞の芽も育てられていきました。党内で「詰めきる指導」などといったようなことが具体的な形で行われ、支部委員は疲労困憊していきました。
指導と被指導の間に小さな矛盾が生じ、それが蓄積されて次第に巨大化し、ついに共産党の革命的な、革新的な力を阻害していったのです。
1960年代には、横田基地や板付基地を数万人のデモで取り囲む力がありました。その中核には共産党員がいました。今日、横須賀を「母港」と称してアメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」が甲板に「はじめまして」と日本語で人文字を描きながら入港しても、わずかなデモしか組織できません。共産党も当時の行動力とは比べ物にならないほどのテイタラクです。その根本には共産党の官僚主義の問題が厳然としてあります。
小泉政治によっていっそう顕著になった大企業奉仕の政策により、窮乏した国民が生活に喘いでいます。貧困が原因の犯罪も増加しています。しかし、うてば響くような共産党の姿は見られません。その根本には、共産党の官僚主義に毒された問題があります。赤松清和氏は、「現在の支配者に対するたたかいと結合して共産党の官僚主義を克服するたたかいが必要である」(結合の理論)と提言しました。
彼はつぎのように言いました。「学習会は、最初から共産党を支持しつつ批判する。
社会主義勢力の現状からして資本主義権力とのたたかいだけでは出口はない。官僚主義克服のたたかいだけでは、支配者を喜ばし、反共運動になる。どうしても資本主義権力にたいするたたかいと社会主義的官僚主義克服のたたかいを結合することによって将来への展望が開ける。」